私はずっと「可能性」について考えてきました。
小説などの本と、演劇と、映画の違いは、それらのもつ「可能性」の違いです。
読者・観客などの受け手自身が想像して作り上げる部分の大きさの違いです。
例えば、登場人物の顔の場合、映画や演劇では、その俳優の顔に限定されますが、
本においてはどんなに細かく描こうとも受け手によって百人百様の顔ができあがるのです。
漫画を読んでいて、その登場人物の声を勝手に作り上げるのと同じです。
演劇においては、体や声は俳優に限定されますが、その他の要素は、受け手の想像に任されています。
私はその想像する部分が、より広い作品を作りたいと思います。
生の人間の演技を直接感じながら、その他全てを受け手自身が作り出し、物語を進めることができる。
受け手の想像なくしては、物語を進めることができないこの点こそが、
他には持ち得ない演劇の特色であると考えています。
ですから、その特色を存分に楽しむことが、演劇を最高の楽しみだとも思うのです。
人は年をとるにつれて、自分の可能性をすて続ける、と何かの本に書いてありました。
生まれた時は、皆平等ではないにせよ、様々なものになり、
いろいろなことをやれる大きい可能性を持っている。
しかし、生きていく中では、多くの選択が迫られます。
たとえそれが、些細な選択であっても、選ばれなかった道の可能性を捨てることになります。
そうして、自分の可能性を小さくするのです。
そして一度失った可能性を取り戻すには、 相当な努力と、その他の可能性の犠牲が必要なのです。
だから、「可能性」を大切にしたいと思う。 私は、やりたいことをやり続けていたい。
そのためには、今は無理でもいつかやれると信じてその可能性を捨てないこと、
何がやりたいのか自分に正直でいること、そして辛くても、 そのように今を生き抜くことが必要なのです。
“possibility”が「可能性」の英訳ですが、私はそれを”IF”と書きたいと思います。
Image the First stage!
自分を見つめ、やりたいことを探し、それを実行し続けるところに、 その人の「可能性」があるのではないかと思います。
「もし、あのとき、ああしていたら・・・」と決して思うことのないように、
今の自分をちゃんとみつめて進んでいきたい、そう思います。
2005年5月 unit-IF代表 小山 一羊